私はこれまでに、2つの家じまいに向き合ってきました。
- 母方の祖父母の家じまい(完了済み)
- 父方の祖父母の家じまい(現在進行形)
今回は、完了済みの「母方の祖父母の家じまい」についてお話しします。
■ なぜ家じまいを経験することになったのか
今私が住んでいる家から、歩いて5分ほどの距離にあった祖父母の家。
小さいころからよく行き来していて、たくさんの思い出があります。
祖父母がだんだんと体の自由がきかなくなり、自分のことができなくなる様子を近くで見てきました。
家族でサポートしていましたが、いよいよ限界がきて、祖父母は施設へ入所。
その家は空き家になり、親族が使いたいという話があったため、近くに住んでいて時間のあった私が片付けを引き受けました。
■ 実際に片付けを始めたときの気持ち
すぐには手を付けられませんでした。
小さい頃から何度も遊びに来た、大好きだったあの家。
いつもみたいに、ばあちゃんが台所から顔を出してくるような気がして、
じいちゃんがいつもの場所で新聞を読んでいるような気がして――。
現実を受け入れきれず、胸がぎゅっと苦しくなりながら、さみしい気持ちで片づけを始めました。
■ 家じまいで気づいたこと
実際にやってみると、とにかく「モノが多い」。
9割以上が捨てるしかないモノ。
需要がありそうなものはメルカリに出しましたが、それ以外は車で何往復もしてゴミ処理センターへ。
「捨てる・残す」の判断を私に任せてもらえていたのでスムーズに進められましたが、
それでも大量のモノと向き合う作業は、時間も体力も根気も必要でした。
■ 印象に残っているモノたち
大量のポケットティッシュ、毛布やタオル、食器セット、洋服
→ 「もったいないから」と残してあったんだと思うけれど、結局使わずに終わったモノたち。
小さい頃、ばあちゃんがいつも出してくれていた孫用のマグカップ
→ 捨てられなくて、自分の家に持って帰りました。今はわたしの子どもたちが使っています。
孫からの手紙、年賀状
→ ちゃんと取っておいてくれてたことに、胸が熱くなりました。
■ モノへの考え方の変化
家じまいを経験して、私はモノとの向き合い方がガラッと変わりました。
モノを買うときは、「処分まで」考える。
→ リセールも意識して、価格より「価値」で選ぶようになった。
長い人生の中で、元気でいられる時間って、結構短い。
→ 今この瞬間を、「本当に気に入っているもの」だけに囲まれて暮らしたい。
使わないモノは手放す。
→ 手放す基準は、「使えるか」「使えないか」ではなく、「使うか」「気に入っているか」
メルカリで循環させられるなら、気持ちよく手放せる。
■おわりに
「家じまい」は体力的にも精神的にも大変な経験だったけど、
あの時間があったからこそ、今の私の暮らしやモノ選びの基準ができたと思っています。
次回予告 ✍
次は「現在進行形で進めている、父方の家じまい」について書く予定です。
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